【心と体のライフスタイルカレッジ】〜いっぺん死んでみるワークショップ〜

  • ライフスタイル講座

【心と体のライフスタイルカレッジ】〜いっぺん死んでみるワークショップ〜

堀江昭佳プレゼンツ!
好きなひとをサロンに招いて、
みんなで学んでお話しして。

おいしいごはんを食べて笑って、
みんなで楽しい時間を過ごそう!
そんな楽しい企画が……

「心と体のライフスタイルカレッジ」

今回のゲストは、内科医の上原暢子(のぶこ)先生です。

上原暢子先生のブログ

 

一般的にタブーとされている「死の話」を、暢子先生がカジュアルに語ってくださいました。

 

 

堀江
漢方薬剤師の堀江昭佳です。
暢子
内科医の上原暢子(のぶこ)です。よろしくお願いします。
堀江
心と体のライフスタイルカレッジは、ぼくが話を聞きたい人をお呼びして、きまぐれに開催しています(笑)
堀江
えーっと、今日は……
暢子
6回目ですね。
堀江
6回目!ぼくが忘れている(笑)
暢子先生は、ずっと看取りをされてきた先生で、「いっぺん死んでみる」というワークショップをされているのは前から聞いていたんです。
で、ぼくが受けたくて今回お願いしました。
ぼくは「赤ちゃんを生みたい」という相談を受けることが多くて。
暢子先生から、普段接することがない「死」を本気で見つめた時、逆に生きることを大切にするんだっていう話を聞いたんですね。
カウンセリングの時に、子供がほしい、赤ちゃんがほしい、ということを聞くんですけど、その時に「本当に自分が望んでいるのかわからない」と言われることがよくあるんです。
そういう時にこそ、本当に自分がしたいこと、かたくなったところをやわらかくするとか、そういうことがすごく素敵だなと思って。
それで今回、こういう企画をさせてもらいました。 それでは暢子先生、よろしくお願いします。
暢子
よろしくお願いします!

 

暢子
私のワークショップに参加される方は、年齢は20代から60代くらいの方まで、死や病気に思いを持っておられる方が多いんですね。
ご家族を見送って後悔されている方とか、小さい頃からずーっと死にたいという気持ちを持って生きてこられた方とか、病気をして、今この生き方でいいんだろうかと悩んでいる方とか。
いっぺん死んでみる、というのはスピリチュアルでもなんでもなくて、死んだ自分を感じてみるとかそういうのでもないんです。
死というものはいつかは来るけど、みなさん「ぼんやり」という感じで捉えていらっしゃるんですね。具合が悪くなってはじめて、「あれやっておけばよかった」という風に後悔される方がすごく多い。
だから一回、死と向き合っていただきたいと思っています。
それと、私がいつも思っているのは、日本人は「死の話とセクシャルとお金と政治の話は人前でカジュアルにすることではない」と習ってきていて、正解を求めてさまよってしまう方がすごく多くいらっしゃること。「ああすればよかった」ってすごく後悔されるんですね。
正解は一つじゃないですし、だからこそ情報の取り方さえ一回わかっていただけたら、自分の生と死と、プラス自分の親の生と死にも向き合えるようになる。
このワークショップはそれを知ってもらうことを目的としています。
あ、始めちゃっていいですか?
堀江
はい、どうぞ!

 

 

◆「大切にしている○○」を書くワーク

暢子
では始めます。お手元の付箋に、今から言うことを書いていってください。

緑:
大切にしているもの、手で触れるもの、命のないもの

ピンク:
大切にしている思い出

青:
やりたいと思っていること、欲しいもの

黄:
大切に思っている人、動物。(命あるもの、亡くなった命も含む。ただし、出会ったことのある人のみ)

 

暢子
これらを付箋に書いていきます。では、どうぞ。

 

※各自、付箋に書いていく

 

 

暢子
今目の前に、20枚近く、自分の大切な物・人などを書き出してもらいました。
これから、みなさんの物語をお話します。
発病して、具合が悪くなっていってから死ぬまでのお話をします。
お話をするその合間合間に、大切なものを手放していくワークをします。自分の大切なものは死ぬ時に持っていけないので。
私が話すストーリーを聞いて、「私はそんな選択しないわ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、なるべくこのお話に自分を寄せて聞いていただけたらと思います。
ワークの最中は目をつぶっていてください。
紙を選ぶ時は目を開けて選んでいただきたいのですけど、紙を選んだら、クシャッと握りつぶして自分の右側の床に捨ててください。
握りつぶす感覚が、その紙によって違う場合があります。握ることすらできないこともあります。
捨てる時も、全然捨てられないものと、パッと捨てられるものがあることを感じてみてください。
捨てる順番に正解はないですし、物なのか気持ちなのか命のあるものなのか、捨てていく順番で気がつくことがあるでしょうし、私がお話する中で、嫌な感情も嬉しい感情もいろいろ出てきますので、ぜひそれも味わってみてください。
みなさん全員が紙を捨て終わった後にお話を再開しますので、それからまた目をつぶってくださいね。
では、始めます。

 

※暢子先生のお話を聞く。

 

途中、先生の指示を受け、各自目を開けて付箋を選び、それを握りつぶして捨てていく──。

 

お話が終わり、手元の付箋は全て捨てられた状態になる。

 

 

暢子
ここからはシェアタイムにしたいと思います。
まずは堀江さんから!
捨てる順番で気がついたことはありますか?
堀江
最初はやっぱりね、自分がどうしたいのか、みたいなことがあって、緑の付箋に書く「物」が書けなくて。
紙を捨てていく時、いかに快適に死ぬかにフォーカスしていたんだけど、紙に家族のことを書いて、「家族の誰だったらぼくのこの仕事を後に残せるかな」って思ったんですね。
それと、最後まで残った紙は「妊娠報告1万人」でした。
自分は死ぬ。死ぬから「後に残せることはなんだろう?」って考えて、ぼくは仕事がすごく大事だなと思った。「妊娠報告1万人」を目指してやっていることがライフワークだなって思ったし、「やっぱり最後まで残ったな」とも感じて。
最後まで母親も残ったんだけど、親より先に死ぬのはまずいよなぁと思っって(笑)
その結果を見て、今ぼくがしていることは正しい選択だったな、って思いました。

 

暢子
じゃあ、答え合わせになったんだね。
堀江
そう、すごい気持ちよく。「これが続くなら死んでもいい」って思った!
暢子
堀江さんみたいに答え合わせになったり、「最後まで旦那が残った」「私、旦那のこと意外に愛してた」ということに気がついて夫婦仲がよくなったり、いろいろあると思います。
ここからはちょっとお勉強の時間にします。

 

◆死の原因さまざま

暢子
先程のワークで、死亡理由になんて書きましたか?
「癌」を選んだ方にちょっと理由を聞いてみましょう。
なぜ癌を選びましたか?
お客さま
死ぬ準備ができると思ったからです。
暢子
何癌ですか?
お客さま
肺癌かな。見た目が変わらないから
暢子
では「老衰」を選んだ方、いかがですか?
お客さま
90歳で老衰、を選びました。
暢子
どうして?
お客さま
もともと体が弱いので、家系的に。
暢子
でも90歳まで生きるんだ?
お客さま
そう、なんですよね(笑)小さい頃から体が弱いのに、実際に自分の死を想像した時に「90歳で老衰」を選んだのは、もともと体が弱いから大病などはしないかな、弱いまま細く長く生きるのかなって思いました。
暢子
わかりました。
さて、この3つのグラフは有名なグラフで、代表的な「死に方」のグラフです。

 

 

暢子
癌は、しばらく元気でいるんですけど、あるところで元気のグラフがガクンと下がって死ぬ。それが癌の死に方です。
あっという間に死んじゃった、ていうのがそのパターンで。癌ってわかったら、元気なうちにいろいろやっていけるんです。
家族は「癌だけどしばらくこのまま元気でいるんじゃないか?」と思うんですけど、癌は(グラフが)ガクンと下がって死ぬということを覚えておいてください。
慢性の心不全とか呼吸不全とかだと、グラフの傾斜は年齢とともに下がるんですけど、たまに具合が急に悪くなってガクンと下がるんです。元の位置までは戻れずに下がっていく。
通院できなくなってから死ぬまでの中央値は450日。
出かけられないけど家の中では動ける、という期間を含めて450日です。
老衰、脳梗塞、寝たきりも含めた場合、通院できなくなってから死ぬまでの日数の中央値は1300日。
こう考えると、癌も悪くないなという感想をお持ちになる方もいらっしゃいますね。

 

◆今のうちに考えたい。自分の最期の時のこと

暢子
認知症が完成するまでの年数は20年と言われています。
ある日を境に「認知症です、私」となるのではなく、「あれ?おかしいな、おかしいな」と感じながら、いよいよおかしくなって、やっとのところで家族が病院に連れていく。
認知症の人って自分がそうだと認めたくないので、「ボケてない、大丈夫。ただ忘れただけ」って言うので、家族が病院に連れていくのはなかなか大変。そうしている間に認知症は進んでいく。
そういうことも考えると、自分の延命の意志とか、自分の治療をどうしたいとか、最期の時はどこでどんな風に過ごしたいかとか。そういうことを若いうちから考えても早すぎることはないと思うんです。
目の前に病気がくると、ノーマルな精神状態では考えられなくなるので、考えておいた方がいいかなと思います。
人によっては「先生に言われたから間違いない」って癌と闘う人もいますが、「癌の治療はしなくてもいい」という医者もいます。
そういう真逆のことをいう先生たちの本が並べて売られていたりするんですよ。「どっちにしたらいいの?」ってなりますよね。
だから、元気なうちに、ご自分で考えられるようになっておくといいと思います。

 

 

暢子
次にいきますね。
ピンピンコロリ、と書いた堀江さん、死ぬまでのストーリーを教えてもらえますか?
堀江
最後まで元気で、「あ、具合悪い、おかしい」と言って寝て、その3日後にくらいに死ぬ、そういう感じ。
暢子
じゃあ、3日間は寝たきりでいいんだ?
堀江
うん、それでいい。そういう方が身近におられて。80歳くらいの方で、3日間寝たきりで、死ぬ3日くらい前まで仕事をされていて、調子悪いってなった3日後に亡くなられるんです。あれはいいなと思った。
暢子
ピンピンコロリって、そこそこ元気でいて、3日間寝たきりの期間を含めてパタッと死ぬ。
でもそれ、50歳だとそうは言わないですよね。
堀江
うんうん。
暢子
85歳のおじいちゃんが、次の朝起こしに行ったら冷たくなってた、ならピンピンコロリと言うけど、50歳の人が同じ状況になった時に「ピンピンコロリで亡くなったね」とは……
堀江
ならない!
暢子
ならないですよね。
50歳の人なら突然死、ですよね。
堀江
たしかに。
暢子
そこの境は、年齢でしかないんです。
ピンピンコロリと突然死は同じなんですよ。
心筋梗塞の梗塞とは、血管がつまってその先に血液がいかなくなって、その先の細胞が死ぬことを言います。
脳で起これば脳梗塞。脳で出血が起こってもピンピンコロリできます。これを合わせて脳卒中と言います。
その他に、大動脈瘤破裂。こぶができて、これがパンって破裂すると、病院内にいても助かる見込みは少ないです。
後は、血管系ではないけれど、致死性不整脈というのがあるんです。
不整脈には、ほっといていい不整脈とほっといちゃいけない不整脈があって。
ほっといちゃいけない不整脈は、薬などで安定させますが、これもピンピンコロリできます。
結局こういうのって血管病だから、血管に長年ダメージを与えた結果、血管が詰まったり、弱くなって破裂したりという病気なので、ピンピンコロリを目指したいなら、メタボを目指さなきゃならない。
だけどメタボを目指す人はいないでしょ?
だから、いつか年齢で血管病になって、ピンピンコロリということになる。
ピンピンコロリしたい人の理由に「介護の迷惑をかけたくない」というのが多くて。
若くて突然死とかで、目の前の元気な人をなくすと、残された人たちにはすっごい心的外傷が残るんです。
迷惑かけたくないから突然死したいというのは、ちょっと、(残された人たちが)かわいそうかなと思います。
せめて、救命されて一週間くらいは病院で管につながれるという役を、ぜひ演じてもらいたいです。
それは決して迷惑をかけることではなくて、残された人たちへの愛情だから。

 

 

◆延命治療について

暢子
延命治療を希望する方いますか?
いないでしょ?
「延命治療って何ですか」という質問をしますね。
心臓マッサージは延命治療ですか?
お客さま
延命治療だと思います。
暢子
じゃあ、人工呼吸器は?
お客さま
延命治療?
暢子
人工透析は?
お客さま
延命治療……?
暢子
胃ろうは?
高カロリー輸液は?
胃ろうは、胃に管を入れてドロドロの栄養を流します。
高カロリー輸液は、これは心臓のところまで点滴の管を入れて、食べているのと同じだけカロリーを流す。これらは病院での措置が必要です。
腕からする点滴、これは延命治療だと思いますか?
お客さま
……。
暢子
食べられなくなった人に食べさせること、これは延命治療ですか?
お客さま
……。
暢子
悩ましいですよね。
実は、海外では、人生の終末期にガイドラインがあって、国によって少しずつ違いますけど、食べられなくなった人には嚥下訓練をやって、食べられなければそれ以上のことはしないんです。
食べられない、で終わり。食べさせることは虐待、とみなす国もあります。
堀江
へ〜!
暢子
人間が食べなくなったら時間の問題ですよね。食べられなくなったら2週間くらいで死ぬから、その国に寝たきりがいないのはそういう理由なの。
堀江
なるほど。
暢子
食べさせることをしないから、点滴もしないんです。
老人って誤嚥を繰り返して肺炎になったりするじゃないですか。だけど「何歳以上の肺炎では点滴をしない」というガイドラインがあったりもします。
元気な高齢者の血圧など、バイタルサインは測らないとか、することとしないことが国で決まっているから、家族は何も悩まなくていい。命のラインが引かれているから。
だけど日本にはそれがない。何をもって寿命とするかのラインがどこにもない。だから悩ましい。
堀江
なるほど。
暢子
本人が食べたいと言っても、病院の先生によっては、「食べたら肺に入っちゃうから食べない方がいい。その代わりに、胃ろう・高カロリー輸液・何もしない、さあこの3つから選んでください!」なんて選択肢をいくつか用意して、素人に投げるわけですよ。
本人が認知症の場合は選べないから、家族に質問を投げるわけです。
そうやっているうちに、家族でもめる、その間も(食べないから)どんどん具合は悪くなっていく。
元気なうちにどうするかを決めていたとしても、いざ目の前で具合が悪くなると、家族は気持ちが揺れるんです。
だから、「延命治療はしない」と事前に決めていたのに「やっぱりやろう」となることがあります。
栄養がちゃんと入れば持ち直すかもしれない。でもやらなければそのまま。そう言われたら、ちょっとでも望みをかけてやりたくなっちゃうでしょ?
でもやってみた結果、持ち直さなかった。
そうすると、寝たきりで、管につながれた人が延々、延命治療で、命を長らえてしまう。
もう、心臓が止まるのを待つだけ。
日本ではっきり死が決められているのは、脳死だけ。
食べられなくなったら終わり、心臓が止まったら終わり、という死の基準は、家族など、素人に委ねられるんです。
堀江
質問! 「食べさせることをやめる」ということは、日本でやってもいいんですか?
暢子
うん。
堀江
ほ〜。
暢子
決まりがないから、何をしてもいいの。
堀江
食べさせないことが虐待にあたったりはしない?
暢子
逆に、食べられない人、ゲーってなってる人に食べさせる。それは日々行われてるでしょ? 食材を細かく刻んだり、味を変えたりしてね。それは、やらないと死んじゃうって思うから。
堀江
法律的にも問題はない?
暢子
全然ない。
堀江
へ〜!
暢子
延命治療をしないと決めていたのに、高カロリー輸液やりました、やったけど寝たきりになった。そうなってから、家族が総一致で「もうやめてください」というのは全然OK。
手術は何才まで、という決まりがないのと同じで、家族がOKと言ったらOKなんです。
医者の判断でやっちゃうと「先生に殺された」という人が出るから、医者は決められない。
このことを自分が決めて、周知しておかなければならないし、親とも話し合っておかないとならない。
そして数年ごとにアップデートは必要だし、死んだ後のことも含めて、話し合える家族の環境は必要だよね。
生き延びてしまった後に、「3ヶ月とか5ヶ月とかやっても回復の兆しがなければやめてくれ」「キーパーソンはこの人、この人の判断に異議は唱えない」ということまで事前にきちんと決めておくと、もめないで済みます。
結局一番迷惑なのは、命の線引きを、自分じゃなくて誰かにさせることです。

 

◆入棺体験!

暢子
最後に、お楽しみを用意させてもらいました!
花道さん
花道と申します。葬儀屋さんです。今日は棺をかついで3階まで来ました(笑)

花道さん
みなさん、ぜひお棺に入っていただいて!
暢子
入りたくなかったらいいですよ。強制じゃないので(笑)

 

 

 

お客さま
おおおおおおお〜!

 

花道さん
棺というと、ドラマとかだと外側が木になっていますけど、最近のトレンドは布張り、絵柄が入ったものですね。
長さは6.25尺です。堀江さんがいらっしゃいますし、今日はちょっと大きめの棺を用意させてもらいました。
入ってみると、案外「狭い」と感じると思います。

堀江
結構いっぱいいっぱいだ。
花道さん
蓋をしてあげてください。足元から、ゆっくり。

 

 

暢子
安らかなお顔で。どんな気分ですか?

 

堀江
意外とふつー。落ち着きますよ。

 

前に友達が熊本の震災の時に、集まったお金を使って霊柩車を5台くらい借りて、寝るところがない人に「みんな寝てください」という話があって。意外と落ち着くって、好評だったって。

 

お客さま
へ〜!
堀江
ホントに、意外と落ち着く。
花道さん
そうでしょう!

※みんなで入棺体験!

 

◆入棺体験をしてみて

堀江
おもしろかったー!
暢子
ありがとうございます。
堀江
どうしてこれをしようと?
暢子
私は、大好きなおじいちゃんおばあちゃんといっしょに住んでいたんですけど、私はアメリカにいたので死に目に会えなかったんです。お別れした感じがなくて。
堀江
そうなんだ。
暢子
だから「もう一回しゃべりたいな」という思いを持っていて。終末期医療をしていると、患者さんの目の奥に、自分のおじいちゃんやおばあちゃんを感じたりするんです。
最先端医療をするわけじゃないし、やりたくないということをやらせたくはないじゃないですか。
堀江
うん。
暢子
でも、患者さんの家族は、自分のために長生きしてほしいから、やりたくないリハビリを無理強いしたりするのを見て、すごく切ない。
「それは一体誰がやらせたいんですか?」という主語に気がついてもらいたくて。
亡くなっていく人を見ていると、家族に対して、私に対してすら愛と感謝を伝えてみなさん亡くなっていくんです。
堀江
うん。
暢子
なのに、周りの家族はエゴまみれなんです。それはちょっと考えて、というのを伝えたくて。
自分が死ぬことを考えたら、それまでのことを、誰のためにとか、周りのことを気にしてやりたいことをやれなかったりとか、そういうことに気がつくし。
私は現場を見てるのでリアルなことを伝えられるし、みんなが何に悩んでいるかもよくわかっているから。
見送って後悔してる人がたくさんいるけど、それを誰にも言えないんです。だから話せるとすっごく楽になるっておっしゃる。みんな本当は死のことを話したいんだなって感じて。
もっとカジュアルにみんなで死の話ができたらな、という思いでやっています。

 

 

 

堀江
暢子先生の原体験は、おじいちゃんおばあちゃんのことなんですね。それは後悔?
暢子
後悔ではないんだけど、亡くなるまで一週間見させてあげて、とさっきお話しましたよね。ダメなんだ、ダメなんだ、やっぱりダメなんだ、っていう過程が私にはなかったから、だからそういう話をしているのかもしれない。
堀江
見送る時間が大事なんだね。
暢子
そう。
堀江
周りのエゴかぁ。
暢子
本人はこんなに愛と感謝を伝えているのに、周りは罪を感じたくない、これをやっておけばもっと長く生きられたのに、みたいな提案をして、それで最後ダメだったならしょうがない、と思うんだよね。「だからあの時言ったじゃない!」って後で言えるから。
堀江
実際の患者さんでそういうエゴを感じたことはありますか?
暢子
慢性心不全の患者さんが入退院を繰り返していて、手術をしたんだけど、術後食べなくなっちゃって。
老人ホームの食事は全部食べてたから、病院の食事が合わないんだろうということで、老人ホームに帰したのに、やっぱり食べない。
身寄りが妹さんしかいなくて、妹さんは抗がん剤治療をしていて、お互いが生きる糧だった。だから、「お兄ちゃんがんばって、私もがんばってるんだから、お兄ちゃんいなくなったら私がひとりぼっちになる。だから食べるように言ってください」って頼まれたんです。
でも私は、老人ホームのベッドの枕元に食べ物のチラシがいっぱいあるのを知ってた。
堀江
うん、うん。
暢子
「どうしたいの?」って聞いたら、「おいしいものを食べたい」って。
堀江
あ〜。
暢子
心臓の病気の人って、塩分制限、水分制限がタイトなんですよね。味覚もどんどん落ちてくるのに塩分制限したら何も味がしない。
食事ファーストな人にそんな食事、つらいでしょ。
「でも具合悪くなるのわかるよね?」って言ったら、「死んでもいいから食べたい」って。じゃあ食べようか、って言ったらすごい喜んで。妹さんも笑っちゃって。
堀江
そばに妹さんがおられたの?
暢子
そう、いたの。「先生、言ってください」って感じで、3人で話してたの。
堀江
なるほど〜!
暢子
病院から「体重は56kgで管理して」って言われてたんだけど、どんどん増えちゃって、62kgだけど今元気なの。
堀江
おお〜!
暢子
医者は安全圏を伝えるから。だけど本人が一番自分のことをわかってるから、本人に任せていいんだなって思った。
もちを詰まらせて死ぬのもいいと思うの。
堀江
そうだよね!食べるのはね、本能だと思う。「最後の晩餐は?」なんて質問もあるくらいだし。
暢子
今私が現場で戦ってるのが、身寄りのないアルコール依存症の人に浴びるほど飲ませてあげたいの。だけどケアマネさんもヘルパーさんもみんな嫌がる。
「私は、この人がお酒を飲んで野垂れ死んでも全然いいと思ってます」って言ったら、患者さんも「だろ!?」って。
堀江
アハハハハハハ!
暢子
だけどケアマネさんもヘルパーさんも、死んでるのを見つけたくないもんね。
堀江
そうだよね。
暢子
お酒飲んで野垂れ死んでも、身寄りがないし、誰も困らないのに。
「誰がそうしたいの?」という主語を考えてほしいなって。「誰が困るの?」って。
堀江
実際それを感じてきたんだね。
暢子
そう、感じてる。みんな目の前のことを想定範囲内におさめたいんですよ。
堀江
うん。
暢子
人生コントロールするなんてできないのにね。
堀江
そうだよね。今後の夢は?
暢子
夢? なんだろうな〜。
みんな自分のやりたいことをやって、自分の好きなように死ねることかな。もっとカジュアルに死ぬ話ができたらいいな。
堀江
棺に入るの、みんな楽しそうだったもんね。
暢子
医者と患者の位置に傾斜をつけたがる人がいるの。
患者さんが医者を「先生」と見るから、先生が言ったからそうしなきゃいけないとなるでしょ。でも逆に「先生がいいって言った」となってホッとする人もいるの。
堀江
わかる!みんな大丈夫って言われたいの。
暢子
そう、そうなの!
堀江
でも医者は立場上言えないから。ぼくは言うけどね。
暢子
私も言う。「どうせ死ぬんだから大丈夫だよ」って。
堀江
みんな自由がいいって言うけど、そんなに自由ばかりがいいわけじゃない。みんな、そんなに強いわけじゃない。さっき他の国の話で、ここまで線が引いてあるからって話があったでしょ。あれはまさにそうで。
選択肢が多いっていうのはつらいんですよ。勇気を持って選べる人ばかりじゃないし。線を引いてもらえるのは、決して不幸なことではないと思う。
暢子
そうそう!
堀江
他の国のことは知らなかったので、目からウロコだった。
暢子
だけど、こんな話を外来ではできないんですよ、時間がないから。
堀江
なるほどね。でも考えた方がいいよね。
暢子
そうなの。
堀江
いい年になってくると尚更ね。すごくいい勉強になりました!
暢子
ありがとうございます!

 

 

END

 

暢子先生、参加者のみなさん
この度はありがとうございました!